朝日駿オフィシャルブログ

駿さんって割と潔癖症なんですよね。

公衆トイレ等では除菌スプレーで拭き掃除してからでないと便座に座れませんし蛇口もなるべく触りたくないですしジェットタオルも雑菌が飛んで来そうで使いません。電車では吊り革につかまらないように心掛けますしシートにも座りません。食器も食後に最低2回は洗いますし何なら盛り付ける時もう1回洗ったりします。こんな調子ですから、当然他人が握ったおにぎりは食べられません。

でもでもでも!不思議な事に女子高生が握ったおにぎりなら食べられるじゃないですか。食べられるというか積極的に食べていきたいじゃないですか

重度の潔癖症である駿さんが女子高生の握ったおにぎりなら食べられるという事実…それは駿さんが変態なのではなく女子高生が綺麗なんだと思うんですよね駿さんが変態なのではなく。

駿さんが変態なのではなく。

よく考えてみてください。トイレの便座は絶対菌とかヤバそうじゃないですか。便座舐めろって言われたら絶対イヤじゃないですか。対して女子高生はつむじから足の指先までぺろぺろしてもいいとさえ思えるじゃないですか。思えるじゃないですか。

女子高生=無菌

流石の駿さんでもそんな事はあり得ないと、分かっているのですよ。しかし、便座。便座は実はスマホの画面よりよっぽどばい菌が少ないらしいです。便座は舐められません。

ここで重要になってくるのは。

実際のばい菌≠我々のイメージの中のばい菌

で、あり、

我々が怯えているのは実は実際のばい菌より、イメージの中のばい菌なのです。

人間はイメージの奴隷なのです。

人とは得てして見えないものに囚われてしまうものなのですよ。

…愛とかな。

すいません今の無しで。





女子高生の乗る自転車のサドルになるイメージ(想像)をしながら寝るとします。

女子高生女子高生って言うけど、安い給料で上司からのセクハラ紛いの言動やお局からの嫌がらせに辟易しつつでも特にやりたい事もないしとか思いながらアパートでひとりコンビニ弁当のおかずをアテに発泡酒を啜るOLさんが握ったおにぎりも余裕で食えるというか積極的に食いたいです。

洗濯もしてあげたい。

すいませんもう寝ます。

9/23(日)友達のTHE SALAというバンドが主催する東日本大震災復興祈願フェス「PLACE」に今年も出演します。2012年から行われていて朝日駿は2013年を除く全ての年に出させてもらっています。

そして今年は8/18(土)に福島県いわき市勿来のライブハウスR3という所で西日本豪雨災害支援投げ銭ライブにお誘いいただいきました。

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実を言うと僕、以前はチャリティイベントに対して否定的でした。もっと詳しく言うと「(朝日駿のような)無力なミュージシャンが参加するチャリティイベント」って意味あんのー?と思っていました。

チャリティ/チャリティでないに関わらず大抵のイベントは開催するだけでお金がかかります。それでもたとえばMr.Childrenなんかがチャリティイベントを開催すれば開催にかかる費用よりも大きな収益があってそれを寄付するなり有益に使う事が出来るのです。(想像の話)

ところが例えば朝日駿がどこどこでチャリティイベントを行う→会場設営に50万円掛かる→10万円の収益が生まれる→10万円寄付する。いやいや、だったら初めから50万円募金でもすりゃいいじゃねーか!?という風に思っていました。だから費用に対して多くの収益を見込める有名なミュージシャンでもない限りチャリティイベントは無意味だ、と考えていました。

ある日ふと思ったんです。意味が有る、意味が無いというモノサシでしかものを考える事が出来ないという事≒自分自身の存在そのものを否定する事になってしまうのではないか?と。だって、朝日駿はそもそも存在自体が世界の為にも日本の為にも地域社会の為にもなっていない「無意味な存在」な訳で。当然、朝日駿の弾くギターにも歌う歌にも極論すれば意味なんて無い訳で。

ちっぽけで無意味な存在のクセに、一丁前に意味があるとかないとか考える事自体がダセーよなぁと思いました。赤字だとか黒字だとか言う話ならそもそもギターなんて初めっから弾いてないでその分1秒でも長い時間労働していればいいんですよ。我々ミュージシャンは「効率」とか「費用対効果」とかいうものから最も遠い位置にある存在なのです。

労働して稼いだ50万円を寄付する人、めちゃめちゃ立派です。

無給で被災地へ赴きボランティア活動をする人、めちゃめちゃ立派です。

だけど、僕のようなボンクラはギターが無いと何も出来ない(したくない)ので、必死こいて演奏して僅かな銭を稼ぎ寄付し、謎に満足感と達成感を得る。ほんとすいません。ほんとすいませんなんですけど、ミュージシャンとしてそれ以外の方法はないというか、それ以外の方法ではダメなんですよね。

「音楽以外やりたかねー」

という気持ちだけがたったひとつ朝日駿に意味を持たせてくれるような気がします。

ごめんなさい、どうか朝日駿に意味を持たせてください。

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(補足)
「結局、チャリティとかあんま意味ない」みたいな文章になっちゃった(ような気がする)事をものすごい勢いで反省してます。ミュージシャンは全てのムーブメントをミュージックによってのみ起こすべきである、何故ならばミュージシャンなのだから。という事が言いたかったんです。文章下手過ぎて申し訳ないっす。

若い頃は本当に生きるのが苦しかった。何故苦しいのかも分からずひたすら苦しんでいた。

中学3年生の頃、ブルーハーツみたいになりたくてギターを弾き始めた。上手くなりたくて毎日毎日練習した。がむしゃらにライブハウスに出演しまくってチケットノルマを払い続けた。いくらやってもブルーハーツみたいにはなれなかった。僕のライブに来ないヤツらが大嫌いだったし、コミュ力を駆使して客を呼んで友達みてーにフロアでヘラヘラ談笑してる対バンも大嫌いだったし、いつも出演順一番手で僕の30分間をさっさと済ませようとするライブハウスの店長も大嫌いだった。そして何より僕はブルーハーツみたいになれなかった僕自身の事が大嫌いだった。

それでも尚、パチンコ…やった事がないので分からないけどパチンコで負けたお金をパチンコで取り返してやるんだという様な感覚でギターを弾き続けていた。いつしか僕はお客さんと友達みてーにコミュニケーションを取る事を覚え、対バンと打ち上げでヘラヘラ馴れ合う事を覚え、ライブハウスの店長に媚び諂う事を覚え「立派なバンドマン」になっていた。やればやるほどブルーハーツから遠退いていく感覚に苛まれながら。

こう書くと、本当にクソみてーな気持ちで音楽を続けていたみたいになってしまうが、その中でもやはり素敵なお客さん、素敵な対バン、素敵なメンバー、素敵なライブハウスに運良く巡り会えた事もあった。調子の良い事を言うようだが、そのような人達のおかげで今もこうしてギターを弾いていられるのだと思う。

そんな生活の中である時、ある事に気付いた。笑ってしまうくらい当たり前の事だった。

「朝日駿はブルーハーツではありません」

またMr.Childrenでもありません。エレファントカシマシでもありません。

という事実をさっさと認めてしまう事。

この笑ってしまうくらい当たり前の事にだいぶ時間を使ってしまった。

僕は僕以上でも僕以下でもなく、僕は僕なのだ。

ブルーハーツみたいになるんじゃなくて、僕は僕のまま僕を極め続けていけばいいのだ。そうすれば誰の事も嫌いになる必要はないし、苛立つ必要もない。ましてや苦しむ必要もない。今までそんなモノサシにしててごめん、ブルーハーツ。ごめん、朝日駿。





という、僕が最近考えた事。(笑)

こんなアホみてーな事でアホみてーに苦しんでるのは僕だけかも知れないけど。もし、今何かを実現させたいのにうまくいかなくて苦しんでる人への、なにかのヒントになれば。


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