若い頃は本当に生きるのが苦しかった。何故苦しいのかも分からずひたすら苦しんでいた。

中学3年生の頃、ブルーハーツみたいになりたくてギターを弾き始めた。上手くなりたくて毎日毎日練習した。がむしゃらにライブハウスに出演しまくってチケットノルマを払い続けた。いくらやってもブルーハーツみたいにはなれなかった。僕のライブに来ないヤツらが大嫌いだったし、コミュ力を駆使して客を呼んで友達みてーにフロアでヘラヘラ談笑してる対バンも大嫌いだったし、いつも出演順一番手で僕の30分間をさっさと済ませようとするライブハウスの店長も大嫌いだった。そして何より僕はブルーハーツみたいになれなかった僕自身の事が大嫌いだった。

それでも尚、パチンコ…やった事がないので分からないけどパチンコで負けたお金をパチンコで取り返してやるんだという様な感覚でギターを弾き続けていた。いつしか僕はお客さんと友達みてーにコミュニケーションを取る事を覚え、対バンと打ち上げでヘラヘラ馴れ合う事を覚え、ライブハウスの店長に媚び諂う事を覚え「立派なバンドマン」になっていた。やればやるほどブルーハーツから遠退いていく感覚に苛まれながら。

こう書くと、本当にクソみてーな気持ちで音楽を続けていたみたいになってしまうが、その中でもやはり素敵なお客さん、素敵な対バン、素敵なメンバー、素敵なライブハウスに運良く巡り会えた事もあった。調子の良い事を言うようだが、そのような人達のおかげで今もこうしてギターを弾いていられるのだと思う。

そんな生活の中である時、ある事に気付いた。笑ってしまうくらい当たり前の事だった。

「朝日駿はブルーハーツではありません」

またMr.Childrenでもありません。エレファントカシマシでもありません。

という事実をさっさと認めてしまう事。

この笑ってしまうくらい当たり前の事にだいぶ時間を使ってしまった。

僕は僕以上でも僕以下でもなく、僕は僕なのだ。

ブルーハーツみたいになるんじゃなくて、僕は僕のまま僕を極め続けていけばいいのだ。そうすれば誰の事も嫌いになる必要はないし、苛立つ必要もない。ましてや苦しむ必要もない。今までそんなモノサシにしててごめん、ブルーハーツ。ごめん、朝日駿。





という、僕が最近考えた事。(笑)

こんなアホみてーな事でアホみてーに苦しんでるのは僕だけかも知れないけど。もし、今何かを実現させたいのにうまくいかなくて苦しんでる人への、なにかのヒントになれば。


この世の中で起こり得る事象の中でも十指に入る「幸せ」と言えば、

「パンチラ」

であるという事実に異論を唱える人はいないでしょう。かく言う私、朝日駿もパンチラに出逢う為に外出していると言っても決して大袈裟ではないと思います。

ここでひとつ「パンツであれば何でもいいのか?」と言うとその答えは「NO」と言わざるを得ません。

…あっ。

この話は最終的に良い話になるので(してみせるので)「あー…また駿さんパンチラの話か…」とブラウザを閉じたりしないで下さい。よろしくお願い致します。

例えば同じパンツでも地べたにあぐらをかいて座るコギャルから見えるパンツと、春風にスカートがなびいて見える女子高生のパンツ、どちらが価値のあるパンツかを考えれば明白です。素材は同じなのにシチュエーションの差で物の価値が変動するのです。駿さんくらいになるとどちらにもある程度の敬意を表する事も可能ですが、大抵の人は前者を「みっともない」「だらしない」に対して後者を「ありがたい」「可憐だ」「おお…神よ」という風に感じる筈です。

最近駿さんは悩み事があります。シンガーソングライターとして活動していて、そのシンガーソングライターの本質とは「自作曲の良し悪し」「演奏力や歌唱力…つまり表現力」に尽きる筈です。駿さんも、曲がりなりにもシンガーソングライターとして自分の曲や歌にある程度の自信を持ってステージに立たせてもらってます。ですがそれを聴いている、観ている人に毎回100%伝えられているのか?と疑問に思う事があるのです。それは集客力だったり物販の売り上げだったりすれば、お客さんの眼で分かる時もあります。

力不足を感じ、曲の歌詞やアレンジを再考したり、単純に歌の練習ギターの練習に精を出したりする訳ですが、どうやら「それだけではいけない」という事を痛感する日がしばしばあります。

同じパンツでも、見せ方で価値が変わるなら。同じ曲でも同様に、聴かせ方で価値が変わってくるじゃないか!という、文字に起こしてみると至極真っ当、だがそれを実感するのはなかなかに難しいひとつの結論に至った訳です。

人のライブを観てて「良い曲」よりも「良い曲の雰囲気」を出すのが上手い人が確かにいるな…と感じる事があります。思わず「けっ…かっこつけやがって」と悪態をついてみたりするのですが、ああ僕にはなんとなくそれが足りない気がする、と落ち込みます。

どれだけ必死に良い曲(だと自分で思う曲)を書いても歌っても、それを「効率よく」人に伝えなきゃ意味がない…意味がないと言うか曲が可哀想だなと思いました。

残念な事に僕はもう決して若くないのだから、残りの時間で僕は何が出来るかをもっと真剣に(今までも真剣でしたが)考えなければなりません。

もう少し頑張ってみようと思うので、温かく見守ってくれたら嬉しいです。というお話でした!





…ね?パンチラから始まったとは思えない話になったでしょ?

前回の記事で

「あの時ああすればよかった…という後悔は意味が無い!だからするな!なるべく!」

という主旨の文章を書きました。(女子だらけの俺の高校生活、一体ど〜なっちゃうの!?というクソみたいな妄想話に大分尺を使いましたが)

が、その後色々考えて「…まぁそんな簡単な話でもないよなぁ」とも思いました。例えば自分の不注意で交通事故を起こして相手に怪我や最悪の場合死なせてしまったり…とか、そういう時。もちろん、後悔したところで起きてしまった事実は変わる事は無い、とは言ってもですよ、だからといって後悔はせず未来を…!などという能天気な事はとても考えられないはずです。

そんなの言われなくても分かってるよ!という感じですが何事も「時と場合による!」ですね。

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そんな駿さんですが、未だに「あの時ああしておけば…」と思う事があります。その事を思い出すだけで今でも死にたくなります。

何年も前にザ・50回転ズのライブを観に水戸ライトハウスに行った時の事です。ライブの中盤、Gt&Voのダニーがギターを置いて別の楽器に持ち替えました。
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アメリカのカントリーミュージックやブルーグラス等で使われるバンジョーという楽器です。ダニーは観客に聞きました

「これ、なんていう楽器だか知ってる!?」

その日会場には200人以上の観客が居ました。ですがそれをバンジョーと答える人は居ませんでした。(僕を含め、バンジョーを知ってる観客は何人もいたはずです)

静まり返った会場。誰かが何かを言うのを待つダニー。そんな緊張感の中で駿さんは、何故か僕が何かを言わなかければいけない気がしました。そして、何故かボケなければいけない気がしました。意を決して駿さんは、

「●●●●!!」(4文字の全然違う楽器の名前)

と叫びました。

200人以上の人間がいる空間で人生最大級にスベりました。ダニーも「なんやこいつ…」みたいな感じで駿さんから目を逸らします。

「まぁ気を取り直して曲やるか…」みたいな空気で次の曲が始まりましたが、もう駿さんはその瞬間からライブを楽しむ事が出来ず早くこの現場から立ち去りたい気持ちでいっぱいでした。

やはり今考えても「あの時あんな事言わなきゃよかった…」という気持ちは払拭できません。

「あの時スベった僕が僕で、あの時スベらなかった僕は僕じゃない!」と言うのなら僕は僕じゃなくて良いですっていうレベルで後悔しています。

因みに「●●●●!!」の4文字は墓場まで持っていくつもりです。

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