9/23(日)友達のTHE SALAというバンドが主催する東日本大震災復興祈願フェス「PLACE」に今年も出演します。2012年から行われていて朝日駿は2013年を除く全ての年に出させてもらっています。

そして今年は8/18(土)に福島県いわき市勿来のライブハウスR3という所で西日本豪雨災害支援投げ銭ライブにお誘いいただいきました。

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実を言うと僕、以前はチャリティイベントに対して否定的でした。もっと詳しく言うと「(朝日駿のような)無力なミュージシャンが参加するチャリティイベント」って意味あんのー?と思っていました。

チャリティ/チャリティでないに関わらず大抵のイベントは開催するだけでお金がかかります。それでもたとえばMr.Childrenなんかがチャリティイベントを開催すれば開催にかかる費用よりも大きな収益があってそれを寄付するなり有益に使う事が出来るのです。(想像の話)

ところが例えば朝日駿がどこどこでチャリティイベントを行う→会場設営に50万円掛かる→10万円の収益が生まれる→10万円寄付する。いやいや、だったら初めから50万円募金でもすりゃいいじゃねーか!?という風に思っていました。だから費用に対して多くの収益を見込める有名なミュージシャンでもない限りチャリティイベントは無意味だ、と考えていました。

ある日ふと思ったんです。意味が有る、意味が無いというモノサシでしかものを考える事が出来ないという事≒自分自身の存在そのものを否定する事になってしまうのではないか?と。だって、朝日駿はそもそも存在自体が世界の為にも日本の為にも地域社会の為にもなっていない「無意味な存在」な訳で。当然、朝日駿の弾くギターにも歌う歌にも極論すれば意味なんて無い訳で。

ちっぽけで無意味な存在のクセに、一丁前に意味があるとかないとか考える事自体がダセーよなぁと思いました。赤字だとか黒字だとか言う話ならそもそもギターなんて初めっから弾いてないでその分1秒でも長い時間労働していればいいんですよ。我々ミュージシャンは「効率」とか「費用対効果」とかいうものから最も遠い位置にある存在なのです。

労働して稼いだ50万円を寄付する人、めちゃめちゃ立派です。

無給で被災地へ赴きボランティア活動をする人、めちゃめちゃ立派です。

だけど、僕のようなボンクラはギターが無いと何も出来ない(したくない)ので、必死こいて演奏して僅かな銭を稼ぎ寄付し、謎に満足感と達成感を得る。ほんとすいません。ほんとすいませんなんですけど、ミュージシャンとしてそれ以外の方法はないというか、それ以外の方法ではダメなんですよね。

「音楽以外やりたかねー」

という気持ちだけがたったひとつ朝日駿に意味を持たせてくれるような気がします。

ごめんなさい、どうか朝日駿に意味を持たせてください。

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(補足)
「結局、チャリティとかあんま意味ない」みたいな文章になっちゃった(ような気がする)事をものすごい勢いで反省してます。ミュージシャンは全てのムーブメントをミュージックによってのみ起こすべきである、何故ならばミュージシャンなのだから。という事が言いたかったんです。文章下手過ぎて申し訳ないっす。